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京浜急行バス 「ノクターン号」

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京浜急行バス 「ノクターン号」
品川バスターミナル 22時00分発

品川駅近くのコンビニで買い物を済ませ、品川バスターミナルへ。待合室で22時00分発の「ノクターン号」を待ちました。金曜日ですが、ターミナル内の利用者は少なく、寂しい印象。浜松町からの乗車が多いのでしょうか。数少ない利用者は、比較的年齢の高い方が目立ちました。



発車10分前に、改札が始まる旨の放送が流れたので、のりばへと向かいます。週末なので「ノクターン号」は3号車まで出ていました。私が乗車するのは、2号車の京浜急行バス。三菱ふそうエアロクイーンで、J5440の車号から、2014年式とわかりました。



運転手さんの改札を済ませて車内へ。3列独立シートが並びます。



座席設備は、リクライニングシートにフットレスト、レッグレスト、テーブル、ブランケット、プライベートカーテンです。



スリッパは、しっかりした作りで好印象。



車両中央には、サービスコーナーがあり、緑茶と冷水のサービスが受けられます。また、使い捨てタイプの おしぼりもありました。

携帯電話充電用の電源は、残念ながらありません。しかし、頑なにコンセントを設置しなかった京浜急行バスですが、他の方の乗車記を読むと、最近の新車では、USBタイプの電源が設置されている模様です。今後、車両の置き換えや更新時など、電源設備を持つ車両が増えていくと思われ、将来に期待が持てます。



品川バスターミナルを発車すると、次は浜松町バスターミナル。ここで大量乗車がありました。満席とまではいかなかったものの、7割ほどの座席が埋まりました。乗客達は、身支度を済ませ、次々にプライベートカーテンを閉めていきます。



ここで私は、ホッとタイム。サービスコーナーで暖かい緑茶を作り、のどの渇きを癒しました。運転手さんの放送によると、開放休憩は明朝の紫波SAを予定。6年前に乗車した時には解放休憩がなかったので、いつの間にか開放休憩が設けられたようです。案内が終わると消灯の時刻。車内の灯りが落とされたので、寝る事にしましょう。おやすみなさいませ・・・・zzz


・・・さてさて、毎年、秋になると東北に出かけることが多い私。「ノクターン号」に始まり、これまで、弘南バスの「パンダ号」や、ツアーバス時代の「アップル号」、乗合移行したツアー系高速乗合バスなどを利用してきました。今回の旅で、再び「ノクターン号」を選択した理由は、まもなく「ノクターン号」が節目となる30周年を迎えるからでした。

「ノクターン号」の運行開始は、今から30年前の1986年12月26日です。当時、東京~弘前間を移動するには、どのような手段があったのでしょうか。古い鉄道時刻表を紐解き、調べてみました。

まず、東北新幹線は上野~盛岡間が開通しています。新幹線を乗り継ぐ形で、盛岡~弘前間には、高速バス「ヨーデル号」が13往復を運行。鉄道は、田沢湖線経由と、花輪線経由の2ルートで、特急と快速を運行していますが、所要時間が長いので、「特急はつかり」で青森を経由した方が、弘前には早く到着します。

では、「ノクターン号」と同じ、夜行はどうだったのでしょうか。再び時刻表をめくると、上野~弘前間には、寝台特急「あけぼの」が2往復、座席急行「津軽」が1往復、計3往復の列車を見つけることができました。航空路も調べてみましょう。羽田空港~青森空港間は、東亜国内航空がYS11で2往復を運行しています。

30年でずいぶんと変わったものです。東北新幹線は延伸を重ね、青森どころか、津軽海峡を越えて函館まで直通する時代になりました。東京~弘前間の鉄道は、今では、新青森駅で乗り継ぐ経路が一般的です。高速バス「ヨーデル号」は6往復まで減少。夜行列車は廃止されて存在しません。航空路は、日本航空がB737で6往復を運行しています。(※2016年11月現在)

ちなみに、「ノクターン号」が初めて大型時刻表に登場したのは、1987年2月号。当時は国鉄ハイウェイバスのページはあったものの、今のように「長距離バス」だとか「ハイウェイバス」のページはなく、民間の高速バスは、私鉄や地域バス路線と同じ、「会社線」のページに掲載されていました。しかも、「ノクターン号」は、東北急行の欄に追加されたので、「東京~仙台・山形・弘前」なんて、えらく大雑把な扱い。まだ、長距離高速バスが少ない時代だったのが、伝わってくるようです。



zzz・・・・・

4時45分。人の動く気配を感じて目が覚めました。紫波SAでの休憩です。朝の休憩にはちょっと早いけれど、運転手さんが交代する最後のタイミングなのでしょう。車内の灯りを点けただけで、放送は行いません。発車時刻は前方のディスプレーに表示されています。寝ている方を起こさないよう配慮がされていました。

個人的には、深夜帯の開放休憩がないのが「ノクターン号」の利点だと思っていましたが、実際にバスを降りる乗客は多く、もはや開放休憩は当たり前のように提供されるサービスの一つになりつつあるのかもしれません。弘前で頂いた高速バスのパンフレットにも「サービスエリアで休憩ができます!」とキャッチフレーズのように記載されていましたから。



隣には、横浜から来た「ノクターン号」の1号車が休憩中。30年間タッグを組んできた京浜急行の相方、弘南バスです。

「ノクターン号」の成功が、大都市と地方都市とを結ぶ全国の高速バス路線網の拡大に繋がったと思うと、この2社は偉大な功績を残した事業者だと思います。



紫波SAを発車後は、再び夢の世界へ。

気が付くと、高速道路を降りたところでした。車内の乗客たちは、当たり前のように窓のカーテンを開けていきます。



赤く染まったリンゴと、朝もやの津軽平野が私を迎えてくれました。



約9時間の旅を終え、弘前バスターミナルに到着。2号車の終点は、さくら野弘前店ですが、私はここで降車しました。



さて、開業から30年間が経過し、高速バスをとりまく環境は、運行開始時と比べて大きく変わりました。規制緩和や、高速ツアーバスの誕生、そして乗合化。特に青森県側を担当する弘南バスは、ライバルに出現に格安バス「パンダ号」を運行したり、昼行便を始めたり、自ら高速ツアーバスを運行したりと、攻めの姿勢で応戦します。

高速バスの運賃は下降しました。しかし、これまで眠っていた需要を掘り出す事に成功し、かつては「ノクターン号」しかなかった東京~弘前間の高速バスの選択肢は、大幅に増加。今や、どんなに需要が落ちる日でも、全ブランド合わせて片道11台の高速バスが両都市間を結んでいます。

開業当時の「ノクターン号」の運賃(品川~弘前間)は片道9500円でした。現在は10180円ですが、この価格で発売されるのは繁忙期のみで、ほとんどの日は「曜日別運賃」により、8700~6700円となります。なんと、「ノクターン号」に6700円で乗車できる日もあるのです。反面、格安バスの「パンダ号」は、5000~4500円だったものが、6500~5000円と、価格が上昇しており、市場のニーズや、需要と供給のバランスに合わせた価格設定になりつつあります。だんだんと「ノクターン号」と「パンダ号」の価格差が縮まってきました。
(※その後、2016年12月から「パンダ号」は7000~4000円に変更)

最後に、将来の東京~弘前間のバスに期待したいことは、弘前へ観光に行きたくなるような夜行バスを作って欲しいです。弘前側から見ると、夜行バスで行ける場所は、関東の一択しかありませんが、東京側から見ると、観光地は弘前だけではなく、ライバルは全国にあります。弘前にもっと観光客を呼べるような、魅力ある(かつてのスーパーシートを超えるような)設備を持つ夜行バスがあってもいいのではないでしょうか。翌日の観光に備えて車内でグッスリと身体を休め、8時30分~9時00分くらいに弘前に着くと、観光もしやすいと思います。

30年前に「ノクターン号」が切り開いた、東京~弘前間の高速バスが、もっともっと発展するといいてすね。

<撮影2016年10月>

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