京都交通 シルフィード号
品川バスターミナル 22時15分発
「そうだ。京都へ行こう。それも海の見える京都へ行こう。」
今回のバス旅は、2019年5月13日から運休の決まった「シルフィード号」です。
品川駅から約400m離れた品川バスターミナルが、今回の旅の出発地です。ターミナルに到着して待合室に入ると、何もない平日という事もあってか人影は疎ら。21時40分発の「ビーム1号」、22時00分発の「ノクターン号」が発車すると、元より少なかった人の気配は一段と寂しくなり、待合室には数人の旅人だけが残りました。
発車時刻は22時15分。その約10分前に放送が入り、舞鶴営業所行き「シルフィード号」の改札が始まりました。乗車券を片手にホームに向かうと、乗客は私一人だと気が付きます。おそらく、他の乗客は次の浜松町から乗車するのでしょう。
運休まで残り1か月もありませんが、皮肉にも、京都交通が担当する便は2月に新車が入ったばかりです。ドライバー異常時対応システム(EDSS)を装備し、ミッションはAMTを採用した最新モデル。座席仕様は、独立3列シート(最後尾は4列)で、まだ2か月も運行していない車内は清潔そのものでした。
トイレは車内中程の階下にあります。
フルリクライニングして、フットレストやレッグレストをセットした状態です。
車内設備は、リクライニングシート、可動式マクラ、フットレスト、レッグレスト、毛布、収納テーブル、USBタイプの電源、座席間を仕切るカーテンがあります。
品川バスターミナルの自動販売機で購入したコーヒーで一息ついていると、発車の時刻になりました。
バスが動き出した瞬間に、乗り心地の良さが伝わってきます。新車なので当たり前といえば、当たり前なのですが、安定した挙動に静かな走行音。車内に装備されたプラズマクラスターは快適な空気を提供しています。初めて体験するセレガのAMT変速も、自然に受け入れられました。
約20分間走行して、浜松町バスターミナルに到着。ここでは4人の乗車がありました。
乗車された方々は年齢層が高く、見たところ京都側在住の利用者と窺えます。ほぼ全員が車内前方に座席指定されていましたが、運転手さんが配慮して下さり、各人が好みの席に落ち着きました。
22時35分、浜松町バスターミナルを発車しました。
車内放送によると、新東名、新名神、京都縦貫道などを経由し、途中1回だけ降車休憩が設けられているそうです。この便では、亀岡駅、西舞鶴駅、中舞鶴では降りる方がいないので通過する予定。もしも降車したい方は乗務員まで伝えて欲しいとの事でした。首都高に入り、23時を過ぎると車内の灯りが落とされて消灯です。
それでは、身体を休める事にしましょう。おやすみなさい...zzz
・・・前述したとおり、京都交通と京浜急行バスが共同運行する「シルフィード号」は、まもなく路線休止を迎えます。休止の申し出は、業界全体の乗務員不足による京浜急行バス側からでした。一時は京都交通による単独での運行も検討したものの、乗務員に余裕が無い状況は京都交通でも同様であり、やむなく運行休止の決断をしたと発表されています。
今晩の乗客は私を含めて5人。高齢者が多く、私以外は福知山や舞鶴といった京都府在住の方々のようでした。大都市と地方都市とを結ぶ路線の多くは、地方側の利用者への依存度が高く、言い換えれば「地方の利用者が路線を支えている」とも言えます。人口が減少傾向にある日本において、とりわけ地方ほど過疎化の動きが顕著です。これから地方の人口が減少していくと、たとえ乗務員不足が無くとも、路線を維持出来なくなるところが増えるのではないかと心配になります。なんとかして、大都市からの乗客を増やさないといけない。大都市側の事業者の役割が重要になってくる。
「シルフィード号」のケースであれば、京浜急行バスに当たりますが、京浜急行バスには地域輸送に加えて羽田空港輸送という重要な役割があり、限り有る乗務員や車両等のリソースを長距離都市間高速バスに十分に割けない事情もあるのではないかと思われます。余裕さえあれば「パイレーツ号」や「ルブラン号」を手放す事なく、今よりももっと長距離都市間高速バスの宣伝に力を注げていたのではないか。そんな風にも考えてしまいます。
それでも「シルフィード号」の運行開始から28年弱。ターミナルに人員を配置したり、座席のネット予約や乗車券の販売をしたりと、長年に渡って十分な支援を行ってきました。配布している「高速乗合バス時刻表」は、今でも春夏秋冬の季節ごとに発行しています。京浜急行バスも十分に頑張って来た。
願わくば、新たな共同運行事業者が現れ、東京と舞鶴とを結ぶ路線が復活するといいなと思います。更に理想を書けば「大都市から地方へ人を送り込む」という地方創生の気概を持った事業者ならば、なおさら嬉しいです(^^)
・・・zzz
深夜3時。三重県の御在所SAで約10分の開放休憩がありました。
正直なところ、深夜のど真ん中ではなく、もっと早い時間帯の休憩の方が睡眠の妨げにならないのではないかと思いましたが、眠れない人には気分転換になりますし、開放休憩があるだけでもありがたいです。
休止になると、この表示も見られなくなります。
撮影とトイレを済ませてバスに戻ると、毛布に包まり発車を待ちました。
6時05分、福知山駅に到着。1人が降車しました。その後、綾部駅でも1人が降車と続きます。
西舞鶴駅、中舞鶴を通過したので、気が付いた時には既に舞鶴の市街地に入っていました。
わずかな区間ですが、港の脇を走り抜けます。それは私が初めて見た「京都の海」でした。
この後に観光する「赤れんがパーク」の脇を走行すると、、、
7時10分、定刻より若干早く、東舞鶴駅に到着。お疲れさまでした。
バスは舞鶴営業所まで行きますが、私を含めた全ての乗客が降車しました。
東舞鶴に到着した私は、早速に観光へと向かいました。
国鉄中舞鶴線の廃線跡を歩いて「赤れんがパーク」を目指します。
日本遺産に認定されている「北吸トンネル」は、明治の時代に軍港の引込線として建設されました。現在は遊歩道へと生まれ変わり、地元の方々の生活道路として活躍しています。
東舞鶴駅から徒歩約15分で「赤れんがパーク」に到着。
営業開始時刻は午前9時からですが、建物の外観だけならば何時でも見学できます。
これら「赤れんが倉庫群」は、舞鶴に「鎮守府」が置かれていた時代の遺産です。鎮守府とは軍港に置かれた海軍の本拠地で、明治時代に横須賀、呉、佐世保、舞鶴の4都市に開庁され、海の防衛の役割を担いました。
一部倉庫には内部にまでレールがひかれ、軍需品を積んだ貨車や機関車が直接入庫出来るようになっていたそうです。
太平洋戦争の終結により鎮守府は廃止されますが、舞鶴港が防衛の要所である事は現在も変わりなく、海上自衛隊の舞鶴地方隊が配備され、北は秋田県から西は島根県までを管轄し、警備や災害派遣等を行っています。
岸壁から艦船を見学出来たり、乗艦しての見学が出来たりする日もあるそうなので、興味のある方はチェックしてみて下さい。
「京都の海」というと天橋立のような風景を思い浮かべてしまいますが、舞鶴(特に東側)は海軍の面影を残す港町でした。もっとも東舞鶴駅から徒歩圏で観光出来る範囲でしか見ていないので、もう少し遠くへ足を延ばしたり、西舞鶴駅から宮舞線に乗車したりすれば、自然の海岸線が見られるかと思います。
最後は、西舞鶴駅前のお寿司屋さんでランチを食べ、舞鶴の地を離れました。
初めて訪れた舞鶴。
早朝から「赤れんが倉庫群」を見学出来たので、効率よく観光を楽しめました。ここを起点に沿岸を周遊する行程も組めそうです。
路線休止まで残りわずかとなった「シルフィード号」で舞鶴への旅に出かけませんか。
<撮影2019年4月>
品川バスターミナル 22時15分発
「そうだ。京都へ行こう。それも海の見える京都へ行こう。」
今回のバス旅は、2019年5月13日から運休の決まった「シルフィード号」です。
品川駅から約400m離れた品川バスターミナルが、今回の旅の出発地です。ターミナルに到着して待合室に入ると、何もない平日という事もあってか人影は疎ら。21時40分発の「ビーム1号」、22時00分発の「ノクターン号」が発車すると、元より少なかった人の気配は一段と寂しくなり、待合室には数人の旅人だけが残りました。
発車時刻は22時15分。その約10分前に放送が入り、舞鶴営業所行き「シルフィード号」の改札が始まりました。乗車券を片手にホームに向かうと、乗客は私一人だと気が付きます。おそらく、他の乗客は次の浜松町から乗車するのでしょう。
運休まで残り1か月もありませんが、皮肉にも、京都交通が担当する便は2月に新車が入ったばかりです。ドライバー異常時対応システム(EDSS)を装備し、ミッションはAMTを採用した最新モデル。座席仕様は、独立3列シート(最後尾は4列)で、まだ2か月も運行していない車内は清潔そのものでした。
トイレは車内中程の階下にあります。
フルリクライニングして、フットレストやレッグレストをセットした状態です。
車内設備は、リクライニングシート、可動式マクラ、フットレスト、レッグレスト、毛布、収納テーブル、USBタイプの電源、座席間を仕切るカーテンがあります。
品川バスターミナルの自動販売機で購入したコーヒーで一息ついていると、発車の時刻になりました。
バスが動き出した瞬間に、乗り心地の良さが伝わってきます。新車なので当たり前といえば、当たり前なのですが、安定した挙動に静かな走行音。車内に装備されたプラズマクラスターは快適な空気を提供しています。初めて体験するセレガのAMT変速も、自然に受け入れられました。
約20分間走行して、浜松町バスターミナルに到着。ここでは4人の乗車がありました。
乗車された方々は年齢層が高く、見たところ京都側在住の利用者と窺えます。ほぼ全員が車内前方に座席指定されていましたが、運転手さんが配慮して下さり、各人が好みの席に落ち着きました。
22時35分、浜松町バスターミナルを発車しました。
車内放送によると、新東名、新名神、京都縦貫道などを経由し、途中1回だけ降車休憩が設けられているそうです。この便では、亀岡駅、西舞鶴駅、中舞鶴では降りる方がいないので通過する予定。もしも降車したい方は乗務員まで伝えて欲しいとの事でした。首都高に入り、23時を過ぎると車内の灯りが落とされて消灯です。
それでは、身体を休める事にしましょう。おやすみなさい...zzz
・・・前述したとおり、京都交通と京浜急行バスが共同運行する「シルフィード号」は、まもなく路線休止を迎えます。休止の申し出は、業界全体の乗務員不足による京浜急行バス側からでした。一時は京都交通による単独での運行も検討したものの、乗務員に余裕が無い状況は京都交通でも同様であり、やむなく運行休止の決断をしたと発表されています。
今晩の乗客は私を含めて5人。高齢者が多く、私以外は福知山や舞鶴といった京都府在住の方々のようでした。大都市と地方都市とを結ぶ路線の多くは、地方側の利用者への依存度が高く、言い換えれば「地方の利用者が路線を支えている」とも言えます。人口が減少傾向にある日本において、とりわけ地方ほど過疎化の動きが顕著です。これから地方の人口が減少していくと、たとえ乗務員不足が無くとも、路線を維持出来なくなるところが増えるのではないかと心配になります。なんとかして、大都市からの乗客を増やさないといけない。大都市側の事業者の役割が重要になってくる。
「シルフィード号」のケースであれば、京浜急行バスに当たりますが、京浜急行バスには地域輸送に加えて羽田空港輸送という重要な役割があり、限り有る乗務員や車両等のリソースを長距離都市間高速バスに十分に割けない事情もあるのではないかと思われます。余裕さえあれば「パイレーツ号」や「ルブラン号」を手放す事なく、今よりももっと長距離都市間高速バスの宣伝に力を注げていたのではないか。そんな風にも考えてしまいます。
それでも「シルフィード号」の運行開始から28年弱。ターミナルに人員を配置したり、座席のネット予約や乗車券の販売をしたりと、長年に渡って十分な支援を行ってきました。配布している「高速乗合バス時刻表」は、今でも春夏秋冬の季節ごとに発行しています。京浜急行バスも十分に頑張って来た。
願わくば、新たな共同運行事業者が現れ、東京と舞鶴とを結ぶ路線が復活するといいなと思います。更に理想を書けば「大都市から地方へ人を送り込む」という地方創生の気概を持った事業者ならば、なおさら嬉しいです(^^)
・・・zzz
深夜3時。三重県の御在所SAで約10分の開放休憩がありました。
正直なところ、深夜のど真ん中ではなく、もっと早い時間帯の休憩の方が睡眠の妨げにならないのではないかと思いましたが、眠れない人には気分転換になりますし、開放休憩があるだけでもありがたいです。
休止になると、この表示も見られなくなります。
撮影とトイレを済ませてバスに戻ると、毛布に包まり発車を待ちました。
6時05分、福知山駅に到着。1人が降車しました。その後、綾部駅でも1人が降車と続きます。
西舞鶴駅、中舞鶴を通過したので、気が付いた時には既に舞鶴の市街地に入っていました。
わずかな区間ですが、港の脇を走り抜けます。それは私が初めて見た「京都の海」でした。
この後に観光する「赤れんがパーク」の脇を走行すると、、、
7時10分、定刻より若干早く、東舞鶴駅に到着。お疲れさまでした。
バスは舞鶴営業所まで行きますが、私を含めた全ての乗客が降車しました。
東舞鶴に到着した私は、早速に観光へと向かいました。
国鉄中舞鶴線の廃線跡を歩いて「赤れんがパーク」を目指します。
日本遺産に認定されている「北吸トンネル」は、明治の時代に軍港の引込線として建設されました。現在は遊歩道へと生まれ変わり、地元の方々の生活道路として活躍しています。
東舞鶴駅から徒歩約15分で「赤れんがパーク」に到着。
営業開始時刻は午前9時からですが、建物の外観だけならば何時でも見学できます。
これら「赤れんが倉庫群」は、舞鶴に「鎮守府」が置かれていた時代の遺産です。鎮守府とは軍港に置かれた海軍の本拠地で、明治時代に横須賀、呉、佐世保、舞鶴の4都市に開庁され、海の防衛の役割を担いました。
一部倉庫には内部にまでレールがひかれ、軍需品を積んだ貨車や機関車が直接入庫出来るようになっていたそうです。
太平洋戦争の終結により鎮守府は廃止されますが、舞鶴港が防衛の要所である事は現在も変わりなく、海上自衛隊の舞鶴地方隊が配備され、北は秋田県から西は島根県までを管轄し、警備や災害派遣等を行っています。
岸壁から艦船を見学出来たり、乗艦しての見学が出来たりする日もあるそうなので、興味のある方はチェックしてみて下さい。
「京都の海」というと天橋立のような風景を思い浮かべてしまいますが、舞鶴(特に東側)は海軍の面影を残す港町でした。もっとも東舞鶴駅から徒歩圏で観光出来る範囲でしか見ていないので、もう少し遠くへ足を延ばしたり、西舞鶴駅から宮舞線に乗車したりすれば、自然の海岸線が見られるかと思います。
最後は、西舞鶴駅前のお寿司屋さんでランチを食べ、舞鶴の地を離れました。
初めて訪れた舞鶴。
早朝から「赤れんが倉庫群」を見学出来たので、効率よく観光を楽しめました。ここを起点に沿岸を周遊する行程も組めそうです。
路線休止まで残りわずかとなった「シルフィード号」で舞鶴への旅に出かけませんか。
<撮影2019年4月>