2003年10月1日、「AMBITIOUS JAPAN!」のダイヤ改正を振り返ります。
アイドルグループ「TOKIO」がキャンペーンソングを歌い、ダイヤ改正の機運を盛り上げたキャンペーンから、まもなく20年が経過しようとしています。
2003年10月1日ダイヤ改正は、東海道新幹線品川駅の開業、「のぞみ号」の大増発という、東海道新幹線の歴史を語るうえで絶対に外すことの出来ない、大きな節目となるダイヤ改正でした。ダイヤ改正を前にした9月には、100系新幹線が東海道新幹線から引退。これは1992年の「のぞみ」運行開始から続けられてきた車両の入れ替えが、一定の水準に達した事を意味します。全ての営業車両が、加速がよく、最高速度が270km/h以上の車両で統一されたのです。
0系や100系が順次淘汰され、2001年のダイヤ改正からは、規格ダイヤは、のぞみ3、ひかり6、こだま3の「3-6-3ダイヤ」になっていましたが、この2003年のダイヤ改正からは、規格ダイヤは、のぞみ7、ひかり2、こだま3の「7-2-3ダイヤ」となり、東海道新幹線のダイヤの主力が「ひかり」から「のぞみ」に入れ替わりました。
100系のカフェテリア、300系、500系のサービスコーナーが廃止され、供食サービスはワゴンによる車内販売だけになったのも、このダイヤ改正です。
ダイヤ改正を前にした夏頃には、東京駅新幹線ホームの発車案内がフルカラーになりました。
「反転フラップ方式」(通称:パタパタ)の発車案内と「フルカラーLED」の発車案内を併用していた時期で、今考えれば、ダイヤ改正を念頭に設備を更新したものと思われます。
しかし、フルカラーになって、もう20年も経つのですね。つい最近の事だと思ってました。
「3-6-3ダイヤ」時代の「のぞみ・ひかり」発車案内。
「のぞみ」よりも「ひかり」の方が多かったのがわかります。とはいえ、東京駅37分発の「米Hスジ(米原停車)」と、46分発の「HKスジ(静岡停車)」は、原則として性能の良い300系以降の車両で運行していました。また、03分発の「広島ひかり」は、西日本区間で270Km/h運転を行っており、最後は「ひかり」であっても、100系が走れないダイヤだらけでした。「のぞみ」が主力となるダイヤへの準備は、見えないところで進められていたのです。
あと、当時の「のぞみ」は「全車指定席」なのにも注目です。
東京駅と博多駅とを直通する「ひかり」が廃止になったのも、2003年のダイヤ改正です。
この「ひかり」105号は「米Hスジ」なので性能の良い車両で運行していましたが、それでも博多までは6時間4分の時間を要します。後続の「のぞみ」23号が5時間4分で走破するので、その差は1時間。もっとも、停車駅の数も違いますが、それでも比較すると、やはり「のぞみ」は早いです。
開業直前の品川駅コンコース。
「TOKIO」を起用したキャンペーンの掲出物。
見ているだけで「TOKIO」が歌う「AMBITIOUS JAPAN!」のイントロが脳裏に流れてきそうです♪
当時、テレビCMもバンバン流されていました。
「のぞみは、かなう」
「AMBITIOUS JAPAN!」と比べると控え目ですが、新ダイヤ&品川駅開業の掲出物。
「動き出す日。」
当時、配布していた、ダイヤ改正のインフォメーションです。(首都圏版)
裏面には、東京駅、品川駅、新横浜駅の時刻表が付属していました。
品川駅開業の効果は大きく、都内の城南・城西地区では、東京駅までいかなくても東海道新幹線に乗車できるようになりました。
これにより、羽田空港発着の航空機に対して、大きなアドバンテージを得ることになります。
東京駅八重洲口で開催した「新ダイヤ&品川駅開業展」
ダイヤ改正が近づくと、700系の先頭車には「AMBITIOUS JAPAN!」のロゴが入りました。
横長の大きなロゴで、とても格好が良く感じました。
ちなみに、背景に写る駐車場は、現在高速バスが発着する鍜治橋駐車場です。
700系と300系の側面に張られた円形ロゴ。
そして、いよいよダイヤ改正当日。
新横浜駅に向かうと、発車案内が「のぞみ」だらけになっていました。
「のぞみ」に自由席が付いたので、早速乗車しました。
狙うは500系「のぞみ」です。あの500系に、自由席券で乗車出来る日が来るとは!と感動したのをおぼえています。
そして、次の停車駅は「品 川」。
開業したばかりの品川駅は、多くの利用者でいっぱいでした。
東海道新幹線の新しい時代のスタートです。
そして、まもなくして、JR東海所属の車両は、車内チャイムが「AMBITIOUS JAPAN!」へと更新。
その後、20年間に渡って「AMBITIOUS JAPAN!」は車内に流され、多くの利用者に親しまれることとなりました。
・・・今回、JR東海所属車両から「AMBITIOUS JAPAN!」のチャイムが終了すると聞き、当時の思い出を記事にしてみました。
<撮影2003年8~10月>