今回は私の思い入れのある車両、2012年8月に廃車になった東急バス1881号車の思い出をまとめてみました。
この車が新車で導入された1999年当時、私は東急バスの目黒営業所管内に住んでいました。ある日曜日の晩、家族と外食に出かけた帰り道の事です。私は信号待ちしている1台の東急バスに気が付きました。艶のあるピカピカしたボディ、銀色に光る窓サッシ、やたら明るい車内の蛍光灯、汚れの全くない方向幕…私の目はこのバスに釘づけになります。なんてカッコイイ車なんだろう。走り出した車の車号を読み取ると「M1881」と書いてあります。それがこの車との最初の出会いでした。
↑ 2004年3月 黒07系統 目黒駅〜弦巻営業所の運用に入り、弦巻営業所に停車している姿
当時、私はバスに興味を持ち初めていましたが、写真で記録に残すという行為はしていませんでした。撮影は鉄道専門でしたが、そのうちデジカメが普及して、フィルムの購入費や現像代がかからない時代が訪れると、初めて購入したキャノンのG2というデジカメを持ってバスを撮り始めます。しかし、日常の姿を撮るのではなく、珍しい路線に充当した姿ばかり撮影していて普段の姿は記録していませんでした。M1881号車も同様で、レギュラーワークだった目黒駅を起点とする黒01系統や黒02系統を走る姿を全く撮影していない事が今でも後悔しています。
↑ 2004年4月 東98系統 東京駅南口〜等々力操車場の運用に入るM1881号車
ここで車両について簡単に説明すると、1881号車は1999年に東急バス目黒営業所に新車で導入されました。目黒営業所には既に大量のノンステップ車が在籍していましたが、1881号車はツーステップで登場します。他に同型車はなく、1999年式の三菱ふそう大型車は1881号車の1台だけでした。結果的に東急バスの一般路線車は、翌年以降、ノンステップ車かワンステップ車などの低床車しか導入していないので、1881号車の廃車間際は東急バス最後のツーステップ車としてバスファンの注目を浴びる事になります。
↑ 2009年3月 渋41系統 渋谷駅〜大井町駅の運用に入るM1881号車
当時の東急バスは、5年目を目途に車体をリニューアルする再生という工事が行われていました。2005年頃、車体再生が行われると同時に行き先表示が幕からLEDに更新され、それによって顔の表情が変わりました。
↑渋谷駅で発車を待つシーン。バックには地下鉄銀座線01系の姿も。
↑ 2009年5月 再開発中の二子玉川駅にて 瀬田営業所に移籍したので車号がS1881になりました。
目黒営業所で活躍を続けていた1881号車ですが、2009年に転機が訪れます。長い間、慣れ親しんだ目黒営業所から瀬田営業所へと転属になったのです。同時に東急トランセ委託車となり、車体には円形の東急トランセマークが張り付けられました。瀬田営業所では玉07系統二子玉川駅〜成城学園前駅を中心に、多くの管轄路線で活躍します。
↑ 2012年8月 二子玉川駅にて発車を待つS1881号車
東急バスの基本的な車両の使用年数は12年。まだまだ新しい車両だと思っていた1881号車ですが、気が付けば最古参になっていました。2012年、1881号車にとって最後の夏が訪れます。
この頃になると、バスファンの注目も高くなり1881号車にカメラを向ける人の姿が多くなりました。S1881と品川200か・202の登録を残しておこうとシャッターを押した1枚。目黒営業所から瀬田営業所への転属があった1881号車ですが、どちらも東京陸運支局の管轄でしたので登録から廃車までナンバーは変わりませんでした。
↑ 車内のS1881の文字
↑ 車内の様子
↑ 2012年8月 等12 等々力操車場〜成城学園前駅の運用に入るS1881
夜のワンシーン。廃車間際のファンサービスだったのかもしれません。この日は大昔に使われていた系統番号板をデザインして走りました。
↑ 2012年8月16日 S1881号車 最後の日
いよいよ、1881号車の最後の日がやってきました。最終日は、瀬田営業所でのレギュラーワークとも言える玉07系統で、朝のみの運用でした。
多くのバスファンを乗せて、終点の二子玉川駅に到着…
折り返しは瀬田営業所への入庫便。この便を持って1881号車の営業は終了となります。
↑ 瀬田営業所にて
午後、気になって瀬田営業所まで行ってみました。そこにはナンバーやLEDの行き先表示器が外され、廃車作業を終えた1881号車の姿がありました。…日曜日の晩、偶然1881号車に出会ってから約12年。普段は走行しないイレギュラー運用をワクワクしながら乗車した事、通勤で1881号車に当たると嬉しかった事、様々な思い出が甦ってきます。
ありがとう東急バス1881号車。長い間お疲れ様でした。
さて、廃車後の1881号車はどうなったのでしょうか。東急バスファンの間で様々な噂が流れました。「南か、西の方へ運ばれて行ってらしい」・・・となると、東急バスの嫁ぎ先として前例の多い沖縄でしょうか???しかし、いつまで経っても沖縄でそのような車両が運用を始めたという情報はつかめません。1881号車は、一体どこへ行ってしまったのか・・・。
そして、1881号車の廃車から1年以上が経過した2013年9月。バスを通じて交流のある友人のNさんから情報が入りました。1881号車は山口県にいるという情報があった。そして、実際に見に行ったら確かにいた!!
情報を頂いてから3か月。私は山口県の下関にいました。もちろん1881号車に再会するためです。初めは下関駅で張り込みましたが、それらしき車両は現れません。そこでNさんに教えて頂いた情報を元にサンデン交通の北浦営業所へと向かいました。Nさんによるとナンバーの登録は下関230あ5145。「1881号車に会えるだろうか…」息を殺すようにドキドキしながら営業所のまわりを歩きます。すると・・・いました!
画像の右奥にいる車両が元1881号車です。しばらくすると出庫点検が始まりました。出てくるようです。
元1881号車こと、5145号車が出てきました。1年4か月ぶりの再会です!
車内は東急バス時代の色が多く残っていました。
でも、座席裏に貼ってあるシール、「バスが止まってから席をお立ち願います」は山口県バス協会のもの。「もう東急バスの車ではないんだ…」当たり前なのですが、寂しい感情もチラリ。
下関駅までの30分程の道のりはあっという間でした。バスは下関駅に到着すると、落ち着く暇もなく次の行き先表示を掲出して発車していきます。
バスを見送った後、私の心は久しぶりに1881号車に乗車出来たという充実感でいっぱいでした。本当に下関に来て良かった。(*^_^*)
最後に1881号車こと5145号車のサンデン交通での末長い活躍を願って今回の記事を終わります。私が住んでいる東京から下関までの距離は長いけれど、また必ず1881号車に会いに行こうと心に決めました。
Nさん、貴重な情報をありがとうございました♪