ジェイアール北海道バス 深名線(幌加内→名寄駅)
幌加内13時08分発
深川駅~幌加内と幌加内~名寄駅の2系統に分かれた深名線の旅は後半に入ります。幌加内13時08分発の名寄駅行きとして到着したのは中型バスの日野メルファ。乗客は私と同行者の2人のみでした。
車内は4列シートですが、後方にはトイレが設置されています。私はメルファのトイレ付きは初めてみました。ジェイ・アール北海道バスの深名線は、道北バスに運行委託しているので、車両の所有はジェイ・アール北海道バス、運行管理は道北バスが行っています。逆に考えると、トイレ付きの高速バスを運行している道北バスに委託しているからこそ、深名線にトイレ付き車両を運行する事が出来るのかもしれません。
国道275号線を北上しています。しばらくすると、右手にトラス橋が見えてきました。JR深名線の第三雨竜川橋梁です。北海道の鉄道は、廃線後に整地され、跡地を見つけるのが難しい傾向があるので、このような大きな橋が残っているのは珍しいケースだと思います。当初は撤去される予定でしたが、「象徴として鉄橋を残そう」という地元の方々の熱意によって、今でも幌加内町が所有しています。
バスは、たった2人の乗客を乗せて走り続けています。ふと、道路脇の看板が目に入りました。看板の文字を読むと「試験的に歩道の除雪を休止している」旨の案内が書かれています。それを読んで、「今まで、人家のないような場所でも歩道除雪を行っていたのか…」と驚いてしまいました。私は東京育ちなので、雪国の事はよくわかりませんが、道路を維持する事の大変さが伝わってくるようでした。
13時54分、朱鞠内に到着。この日は時間調整があったので、外で撮影させて頂きました。かつて列車の交換駅であった朱鞠内。レールのモニュメントが鉄道のあった歴史を語り継いでいます。
朱鞠内を発車後は鉄道時代と同じように湖畔駅方面へ。しかし、湖畔停留所まで行けるのは夏季のみです。それ以外の季節は、ひとつ手前の三股で折り返す事になります。
三股で引き返したバスは再び国道275号線を走行します。そのうち日本最大の広さを持つ人造湖、朱鞠内湖が左側に見えてきました。鉄道時代は朱鞠内湖の西側を走行していましたが、バスは湖の東側を走行します。バスが三股で折り返してきたのはこのためです。わざわざ朱鞠内湖の東側を走行するという事は、西側には鉄道の駅がなかったのでしょうか。・・・いいえ、蕗ノ台駅と白樺駅の2つがありました。
1980年に制定された法律に「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」というのがあります。「国鉄再建法」と呼ばれたこの法律は、国鉄の経営再建を促進するのが目的で、赤字ローカル線について要約すると「適切な措置を講じたとしても赤字路線であり、更にバスに転換するのが適当とみられる路線」を国鉄自身が「特定地方交通線」として選定し、自治体との協議会を経た後に廃止するというものでした。
国鉄時代から営業成績の良くなかった・・・いや、ハッキリと書くと、著しく営業成績が悪かった深名線ですから、「特定地方交通線」に選定されても当然と思えますが、選定にあたってはいくつかの例外もありました。一定以上の乗客の輸送量があったり、バスが通行出来る代替輸送道路が未整備だったり、積雪によって代替輸送道路が平均で年間10日間を超える期間で通行が出来なかったりする場合などには、「特定地方交通線」に選定されないようになっていました。結果的に深名線は、冬季の代替輸送道路が未整備という理由で「特定地方交通線」から除外され、1995年まで残される事になります。
私が訪れた2013年11月現在、蕗ノ台駅と白樺駅を代替輸送出来る道路は冬季閉鎖で、今も舗装すらされていないダート道です。もっとも、この2駅は国鉄時代に冬季休止の扱いになり、JR北海道に継承されると臨時駅に格下げ、その後もJR深名線廃止の5年前に先立って廃駅とされています。おそらく駅周辺に住んでいる方は誰もいないのでしょう。
私の勝手な推測ですが、国鉄再建法では深名線を残さざるを得なかったが、いずれ鉄道廃止を検討しなければならない時がくる。たとえ利用者がいなくても、駅があれば代替バスという性格上、バスを走らせる大義が生じるかもしれない。その時に足かせとならないよう、臨時駅への格下げと、路線廃止より5年前の廃駅措置を行った・・・のかもしれません。
バスは道道688号名寄遠別線に入りました。1992年に開通した名母トンネルで名寄峠を超えます。この名母トンネルの開通によって、JR深名線の冬季の代替輸送道路は整備されたと判断され、バス代替への道を歩んだと言われています。
トンネルの向こう側は名寄市。幌加内町とはこれでお別れです。
・・・余談ですが、ずっと幌加内町を走行してきて、車窓からコンビニを全く見かけませんでした。気になって帰宅後に検索してみると、どうやら幌加内町には本当にコンビニが1軒もない様子。南北に63kmの長さを誇る町だけに驚きました。
シェルター部分も合わせ、2000m級の名母トンネルを抜けると、名寄市には秋のような景色がありました。先ほどまでの雪景色は幻だったのかと思える程の変わりようです。そして、ジェイ・アール北海道バスの深名線の旅も終わりが近づいてきました。
14時46分、道北地域の基幹病院である市立病院でも乗降は無し。幌加内を午前に出る便なら病院への利用客がいるのかもしれません。
14時55分、終点の名寄駅に到着。結局、乗客は幌加内から乗車した私達2人のみでした。それどころか、深川駅から名寄駅まで3時間近く乗車し、日中とは言え、私達以外の乗客は1人しか見ていないのですから、この路線の経営の厳しさがわかると思います。
もしも、深名線が国鉄再建法によるバス転換であったならば、転換後5年間の赤字全額補助、更に1km辺り最大3000万円の転換交付金を国からもらえました。全長121.8kmの長大路線でしたから、その額はさぞかし大きなものだった事でしょう。しかし、現実はJR北海道の都合による路線廃止です。JR北海道はもとより、引き継いだジェイ・アール北海道バスの負担はあまりにも大きいと思います。
そう考えると、深名線は「国鉄再建法」でバス転換されていた方が結果として良かったのではないか?今となっては、そう考えてしまったりもしますが、鉄道が1995年まで残された事によって、多くの人々が思い出を刻む事が出来たのも事実。ある世代以上の鉄道ファンにとって、「深名線」という言葉の響きは、他の鉄道廃止路線とは違う感情を持っているのではないでしょうか。
鉄道廃止から18年(私が乗車した2013年現在)。気が付けば深名線という鉄道を目で見ていない世代が、これから社会へと出てくる頃です。時の流れの速さを実感するとともに、ジェイ・アール北海道バス深名線の今後の発展を願いました。
<撮影2013年11月>
幌加内13時08分発
深川駅~幌加内と幌加内~名寄駅の2系統に分かれた深名線の旅は後半に入ります。幌加内13時08分発の名寄駅行きとして到着したのは中型バスの日野メルファ。乗客は私と同行者の2人のみでした。
車内は4列シートですが、後方にはトイレが設置されています。私はメルファのトイレ付きは初めてみました。ジェイ・アール北海道バスの深名線は、道北バスに運行委託しているので、車両の所有はジェイ・アール北海道バス、運行管理は道北バスが行っています。逆に考えると、トイレ付きの高速バスを運行している道北バスに委託しているからこそ、深名線にトイレ付き車両を運行する事が出来るのかもしれません。
国道275号線を北上しています。しばらくすると、右手にトラス橋が見えてきました。JR深名線の第三雨竜川橋梁です。北海道の鉄道は、廃線後に整地され、跡地を見つけるのが難しい傾向があるので、このような大きな橋が残っているのは珍しいケースだと思います。当初は撤去される予定でしたが、「象徴として鉄橋を残そう」という地元の方々の熱意によって、今でも幌加内町が所有しています。
バスは、たった2人の乗客を乗せて走り続けています。ふと、道路脇の看板が目に入りました。看板の文字を読むと「試験的に歩道の除雪を休止している」旨の案内が書かれています。それを読んで、「今まで、人家のないような場所でも歩道除雪を行っていたのか…」と驚いてしまいました。私は東京育ちなので、雪国の事はよくわかりませんが、道路を維持する事の大変さが伝わってくるようでした。
13時54分、朱鞠内に到着。この日は時間調整があったので、外で撮影させて頂きました。かつて列車の交換駅であった朱鞠内。レールのモニュメントが鉄道のあった歴史を語り継いでいます。
朱鞠内を発車後は鉄道時代と同じように湖畔駅方面へ。しかし、湖畔停留所まで行けるのは夏季のみです。それ以外の季節は、ひとつ手前の三股で折り返す事になります。
三股で引き返したバスは再び国道275号線を走行します。そのうち日本最大の広さを持つ人造湖、朱鞠内湖が左側に見えてきました。鉄道時代は朱鞠内湖の西側を走行していましたが、バスは湖の東側を走行します。バスが三股で折り返してきたのはこのためです。わざわざ朱鞠内湖の東側を走行するという事は、西側には鉄道の駅がなかったのでしょうか。・・・いいえ、蕗ノ台駅と白樺駅の2つがありました。
1980年に制定された法律に「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」というのがあります。「国鉄再建法」と呼ばれたこの法律は、国鉄の経営再建を促進するのが目的で、赤字ローカル線について要約すると「適切な措置を講じたとしても赤字路線であり、更にバスに転換するのが適当とみられる路線」を国鉄自身が「特定地方交通線」として選定し、自治体との協議会を経た後に廃止するというものでした。
国鉄時代から営業成績の良くなかった・・・いや、ハッキリと書くと、著しく営業成績が悪かった深名線ですから、「特定地方交通線」に選定されても当然と思えますが、選定にあたってはいくつかの例外もありました。一定以上の乗客の輸送量があったり、バスが通行出来る代替輸送道路が未整備だったり、積雪によって代替輸送道路が平均で年間10日間を超える期間で通行が出来なかったりする場合などには、「特定地方交通線」に選定されないようになっていました。結果的に深名線は、冬季の代替輸送道路が未整備という理由で「特定地方交通線」から除外され、1995年まで残される事になります。
私が訪れた2013年11月現在、蕗ノ台駅と白樺駅を代替輸送出来る道路は冬季閉鎖で、今も舗装すらされていないダート道です。もっとも、この2駅は国鉄時代に冬季休止の扱いになり、JR北海道に継承されると臨時駅に格下げ、その後もJR深名線廃止の5年前に先立って廃駅とされています。おそらく駅周辺に住んでいる方は誰もいないのでしょう。
私の勝手な推測ですが、国鉄再建法では深名線を残さざるを得なかったが、いずれ鉄道廃止を検討しなければならない時がくる。たとえ利用者がいなくても、駅があれば代替バスという性格上、バスを走らせる大義が生じるかもしれない。その時に足かせとならないよう、臨時駅への格下げと、路線廃止より5年前の廃駅措置を行った・・・のかもしれません。
バスは道道688号名寄遠別線に入りました。1992年に開通した名母トンネルで名寄峠を超えます。この名母トンネルの開通によって、JR深名線の冬季の代替輸送道路は整備されたと判断され、バス代替への道を歩んだと言われています。
トンネルの向こう側は名寄市。幌加内町とはこれでお別れです。
・・・余談ですが、ずっと幌加内町を走行してきて、車窓からコンビニを全く見かけませんでした。気になって帰宅後に検索してみると、どうやら幌加内町には本当にコンビニが1軒もない様子。南北に63kmの長さを誇る町だけに驚きました。
シェルター部分も合わせ、2000m級の名母トンネルを抜けると、名寄市には秋のような景色がありました。先ほどまでの雪景色は幻だったのかと思える程の変わりようです。そして、ジェイ・アール北海道バスの深名線の旅も終わりが近づいてきました。
14時46分、道北地域の基幹病院である市立病院でも乗降は無し。幌加内を午前に出る便なら病院への利用客がいるのかもしれません。
14時55分、終点の名寄駅に到着。結局、乗客は幌加内から乗車した私達2人のみでした。それどころか、深川駅から名寄駅まで3時間近く乗車し、日中とは言え、私達以外の乗客は1人しか見ていないのですから、この路線の経営の厳しさがわかると思います。
もしも、深名線が国鉄再建法によるバス転換であったならば、転換後5年間の赤字全額補助、更に1km辺り最大3000万円の転換交付金を国からもらえました。全長121.8kmの長大路線でしたから、その額はさぞかし大きなものだった事でしょう。しかし、現実はJR北海道の都合による路線廃止です。JR北海道はもとより、引き継いだジェイ・アール北海道バスの負担はあまりにも大きいと思います。
そう考えると、深名線は「国鉄再建法」でバス転換されていた方が結果として良かったのではないか?今となっては、そう考えてしまったりもしますが、鉄道が1995年まで残された事によって、多くの人々が思い出を刻む事が出来たのも事実。ある世代以上の鉄道ファンにとって、「深名線」という言葉の響きは、他の鉄道廃止路線とは違う感情を持っているのではないでしょうか。
鉄道廃止から18年(私が乗車した2013年現在)。気が付けば深名線という鉄道を目で見ていない世代が、これから社会へと出てくる頃です。時の流れの速さを実感するとともに、ジェイ・アール北海道バス深名線の今後の発展を願いました。
<撮影2013年11月>