東京メトロ、日比谷線の03系が全編成引退したとのニュースをネットで読みました。
新車13000系の増備と入れ替わるように姿を減らしていった03系。私は2019年の12月に乗車したのが最後となりました。
引退間近の03系の姿を(ほんの少しですが)記録に残したので紹介したいと思います。
03系初期車の特徴として、記録に残したかったのが7号車妻面のみに存在した2段上昇窓。
令和の時代になっても、東京の地下を2段上昇窓の電車が走っていたというのは、ちょっと驚きです。
どうして7号車の妻面だけ2段上昇窓だったのか。私にとって長年の疑問でした。
電車に詳しい方に質問してみたところ、「レスポンスブロック」の名残りだと教えて頂きました。
「レスポンスブロック」とは、列車の運行番号の情報が入ったブロック(プレート)です。例えば26S運行だった場合、「26」と表示されたブロックを差し込むと、走行する列車は要所でブロックの情報を読み取られ、運転の指令所には26S運行の在線場所が表示されます。運行番号は毎日同じではないので、71S運行だったら「71」のブロック、18S運行だったら「18」のブロックを差し込んでいた事になります。そのブロックを差し込む場所が7号車妻面の窓下だったので、ここだけ2段上昇窓だったという訳です。(一段下降窓だと手が届かない)
ちなみに03系増備の過程で「レスポンスブロック」の運用が終了したので、後期の03系からは7号車妻面の窓は固定窓になりました。
中目黒の2番線に到着した、03系の102F編成。
ここで31年前にタイムスリップ!!
1988年7月1日の中目黒駅2番線です。
ホームに入って来たのは、先程の03系102F編成。
1988年7月1日とは、営団地下鉄03系の運行開始初日だったりします。私は運行開始当日の102F編成に乗車していたのでした。
当時、「03系が運行開始する」という情報を手に入れた私は、学校が終わると中目黒駅に向かい網を張りました。もちろん今のようにネットで目撃情報を得られる訳もなく運用はわかりません。いつ来るかわからない03系をひたすら待つ覚悟でした。幸いにして、網を張ってすぐに日吉行きで到着。それがこの写真です。
終点の日吉に到着。折り返し線から出てきた03系を撮影しました。
初期車の前面は、方向幕周りのブラックデザインが前面窓まで届いておらず、まるで細いシルバーの帯が入っているかのようでした。(晩年は他の編成と同様に黒く塗られました)
再び03系に乗車して新丸子で下車。発車したシーンを撮影したものです。
今は複々線となった新丸子駅ですが、当時は複々線どころか高架化工事が終わったばかり。まだ壁面もキレイな色をしています。
再び現在。
最後まで残った03系は、102F編成と136F編成の2編成でした。
136F編成は、導入当初からインバータ制御で導入されたグループです。初めて乗車した時は、初期のチョッパ制御と比べて、あまりにも違う加速感に驚きました。まだ地上区間だった日吉~綱島間をぐんぐん加速していきます。高速域になっても加速力が落ちません。「インバータ制御は凄いな」と感心した思い出があります。
最後に、最近はすっかり見かけなくなった乗車目標「〇〇〇」と03系です。
東京の地下を走行して30年以上、日比谷線の主として活躍してきた03系、お疲れ様でした。
特に102F編成は初日に乗車した車両として深い思い入れがあります。東京メトロから引退しても次の職場がある事を願うばかりです。