福島県白河市に位置する、白河の関です。福島交通が発着します。
2022年夏の「甲子園大会」。
仙台育英高校が優勝したことで「優勝旗が白河の関を越えた」と話題になりましたが、ここがその話の元ネタになった場所です。
停留所は、栃木県~福島県間を結ぶ県道沿いに設置され、国指定史跡である「白河の関跡地」の最寄りとなります。
史跡「白河の関跡地」
バス停のすぐ目の前が史跡の入口です。
ここを発着するバスは、福島交通「新白河・白河の関線」です。
新白河駅・白河駅~白河の関(関の森公園)間を結びます。
2023年4月現在の時刻表。
平日3往復、土休日2往復。
白河の関自体は、それほど大きな観光名所ではないため、土休日ダイヤならば50分間の折り返しで見学できると思います。
ちなみに、バスは新白河駅・白河駅からやってきて、白河の関の一つ先の停留所、関の森公園が終点。その駐車場で折り返します。
そのまま南下すれば栃木県ですが、県境を越えるバスはありません。
(余談ですが、県境方面へ数キロ歩くと、那須町民バスの追分停留所にたどり着き、そこから黒磯駅へ出る事が出来ます。すなわち、徒歩連絡で白河駅~黒磯駅がバスで繋がります。)
白河神社
「古関蹟の碑」
ここが「白河の関」であったと断定した碑です。
白河の関の歴史は大変古く、ここに関が設けられたのは、奈良~平安時代とされています。古すぎてわかっていない事ばかり。関の正確な場所も不明とされてきました。そこで江戸時代後期、白川藩主松平定信の考察により、白河神社のある、この地が白河の関だと断定されました。
私は、関東から見て、東北の関所が「白河」、西の関所が「箱根」だと、一緒くたに認識していましたが、実のところは年代が全く異なり、前者は「奈良~平安時代」、後者は「江戸時代」となるそうです。
「ここより陸奥(みちのく)」
平安京からの道のりは、東山道で不破関(関ケ原)を越えて美濃国へ。飛騨国に入り、神坂峠を越えて信濃国へ。碓氷峠を越えて上野国へ。下野国に入り「白河の関」を経て、ようやく陸奥国へ。
昔の旅人たちは、長い道のりの果てに、この景色を見て、いよいよ陸奥国へたどり着いたのだと、感慨深く感じたのかもしれません。
<撮影2023年4月>