まもなく開通30周年を迎える「レインボーブリッジ」です。
只今、「30周年記念スペシャルライトアップ」を実施しています。私が訪れた日は「青色」ライトアップでした。
「レインボーブリッジ」が開通したのは、今から30年前の1993年8月26日です。上部を首都高速「11号台場線」、下部を「新交通ゆりかもめ」「一般道路・歩道」が供用する二層構造で、東京港のお台場地区~芝浦地区間を結びました。特に首都高速「11号台場線」の開業は、混雑の激しかった首都高速の渋滞緩和に貢献しました。
その昔、千葉方面の「湾岸線」から都心に向かうには「9号深川線」が主流で、各路線が集まる箱崎JCTは渋滞の名所になっていました。箱崎JCTを避けるために「東京港トンネル」を抜けて大井JCT→「1号羽田線」という連絡道(通称:大井Uターン 2013年閉鎖)もありましたが、遠回りで、かつ浜崎橋JCTの渋滞に長く捕まるため、城南地区に住んでいた私一家は、千葉方面から戻る際は「湾岸線」をそのまま走り、大井南で降りて「環七」を北上していました。下道を走ってでも、その方が早かったです。※
「11号台場線」の開通で選択出来るルートが増え、車の流れが分散しました。箱崎JCTの渋滞もかなり緩和されたと感じます。最近では「中央環状線」も開業し、都心部の首都高速網は充実しました。30年前を振り返ると、今は本当に便利になったものだと実感します。
おまけ
※ 余談ですが、東北道や常磐道から帰宅する際も、このルートでした。今考えると、東北道→湾岸線→大井南→環七とか、凄まじいルートです。でも、当時は渋滞を避けるためには、こうするしかなかったんです。とはいえ、個人的には湾岸線の東雲付近で、建設がストップした国鉄の貨物線高架(未成線)を見るのが楽しみだったので、割と好きなルートでした。放置された複線の高架橋は、見た目が不気味で、とても興味深かったです。この未成線は、今は「りんかい線」として活躍しています。