埼玉県秩父市、中津川にある日窒鉱山です。
出合から約4km進んだ山間にあり、かつて、西武の路線バスが発着していました。
日窒鉱業の秩父鉱業所(現在のニッチツ秩父事業所)は、この雁掛トンネルを挟んだ両側で展開されています。
素掘りの雁掛トンネル。平行して、いくつもの電線やパイプがひかれています。画像ではわかりませんが、トンネルの中央は幅が広くなっており、車同士がすれ違う事も可能です。(こんな場所で、すれ違いしたくないですが(^^;))
トンネルを超えると、施設が見えてきました。
鉱山事務所。
現在の鉱山街には飲食店や売店等はなく、一般人が利用できる場所は「秩父鉱山簡易郵便局」のみです。
最盛期は3000人を超える人々が生活をしていました。その名残が今でも残っています。
廃校になった小倉沢小中学校。400人以上の児童が通っていた時代もあったそうです。
人の気配のない住宅。ひっそりとしています。
多くの人が行き交ったであろうメインストリート。昭和37年の地形図を見ると、自動車道ではなく「荷車道」という扱いになっていました。当時、自動車は鉱山の入り口までしか入れなかったようです。
この街灯は、今でも点灯するのでしょうか。
共同浴場の跡。
採掘された鉱石は、全長23km(驚き!)の索道で三峰口駅へ運ばれるルートと、トラックで武州中川駅まで運ばれるルートの2種類あり、その後、貨物列車で川崎方面に運ばれる事が多かったそうです。道路事情が悪かったために、土砂崩れ等で通行できなくなると、索道を使って鉱山に生活物資を送った事もあったとか。
最後に西武バスのイベントで公開された三角バスで締めくくります。今回、日窒鉱山に西武バスが発着した跡がないかと探してみたのですが、廃止が1970年代と、30年以上の歳月が経過しており、手掛かりとなるものは何も見つける事はできませんでした。路線バスが廃止になっても、鉱山の送迎バスがあったようですし、関係者は顔見知りという縁でトラックに便乗させてもらえる事もあったようです。
<撮影2016年2月>
参考文献:秩父鉱山(同時代社)