下津井電鉄・琴参バス 瀬戸大橋線
児島駅前14時55分発
「瀬戸大橋を一般路線バスで渡る」
その日は突然やってきました。
知人と四国を旅行していた時の事です。トロッコ列車に乗車して瀬戸大橋を渡り、児島駅に到着。どうやって四国へ戻ろうかと相談している時、ふと、一般路線バスで橋を渡れる事を思い出して検索してみました。すると、上手い時刻にバスがある事がわかり、私達は意気投合。瀬戸大橋線の旅が始まります。
下津井電鉄の瀬戸大橋FW行きが到着。
車内に入ると、ハイバックシートと、シートベルトが目につきます。高速道路を走行する、瀬戸大橋線のための仕様です。
児島駅前を発車。途中の天満屋ハピータウン前で2人の乗車がありました。バスは児島インターから瀬戸中央自動車道へと入ります。
「この先 瀬戸大橋」
案内標識に心が踊ります。鷲羽山北のBSを発車して、メガネのような形をしたトンネルを抜けると、いよいよ瀬戸大橋を渡ります。
瀬戸大橋とは、6本の橋と高架橋を繋ぎ合わせた総称です。最初に渡るのは「下津井瀬戸大橋」。
海の上に出ました!!
先程、鉄道で橋を渡りましたが、一般路線バスだと、より地域に近い目線で見られるような気がします。
岡山県から香川県に変わり、櫃石島に入りました。バスは、そのまま「一般車輌 進入禁止」の標識のある側道へ進みます。
そう。バスならば、地元の方や緊急車両等しか降りられない、櫃石島に降りられるのです。
ぐるりと円を描きながら、車通りの少ないランプを降りていきます。
そして、高速道路の出入口と、島の出入口。2つの連続したゲートを通過して、島の内部へと進みました。
島民以外では、路線バスの乗客しか見られない景色。
漁港近くの櫃石という停留所で、天満屋ハピータウン前で乗車した2人が降車しました。海を越えて天満屋までお買い物だったのでしょうか。バスは進路を戻し、櫃石島を後にします。
再びゲートを通過して瀬戸大橋へ。車内では下津井電鉄の高速バス広告が流れました。
2つ目の橋である「櫃石島橋」へ進みます。
橋を渡ると、すぐに岩黒島に入りました。
岩黒島でも、ランプを下りて集落へ・・・・といきたいところですが、残念ながら岩黒島は本線上にあるBS。バスを降車した旅客は、エレベーターを使って島内へと降りて行く事になります。ちなみに島民の方の車は、櫃石島と同様にランプから降りられますが、四国方向にしかジャンクションがないので、本州方向へ向かって走行していると岩黒島では降りられません。この場合は、先程の櫃石島で折り返してくるそうです。
降りられなかった岩黒島の集落を車窓から望みました。降りられないとわかると、降りてみたくなるもの。いつか上陸してみたいです。
「岩黒島橋」「与島橋」と渡り、与島に入りました。この島の入口はパーキングエリアです。
ゲートを通過して与島の島内へ。
終点の瀬戸大橋FW前に到着しました。下津井電鉄が担当するのはここまで。この先の坂出へは、琴参バスの担当になります。
瀬戸大橋FW(瀬戸大橋フィッシャーマンズ・ワーフ)とは、瀬戸大橋開業に合わせて京阪電気鉄道が開発した商業施設です。開業ブームの頃は賑わったそうですが、現在は残念ながら閉鎖され、バスの乗り継ぎ停留所だけが残されたようでした。
乗り継ぎ時間は6分。バスを待っていると、頭上から「ゴーーー」と音が聞こえてきました。道路の音は比較的静かですが、鉄道の音は結構気になります。
さて、坂出へ向かう回生病院前行きがやってきました。これから乗車する琴参バスです。
琴参バスの始発は、与島の中心である浦城です。瀬戸大橋FW前が寂れた状態なので、下津井電鉄も集落の多い浦城発着にした方がよいのではないかと考えてしまいますが、折り返しの児島駅前行きを待つ釣り人が何人かいましたし、ここからでも、それなりに利用者はいるのかもしれません。
ちなみに、下津井電鉄の瀬戸大橋線は、国土交通省および岡山県・香川県から補助金が交付されています。高速乗合バスが幾度と行き交う瀬戸大橋ですが、同じ道路を走る一般乗合バスは、越境する一つの離島路線に過ぎす、維持は大変なようです。
瀬戸大橋FW 15時35分発
乗車した琴参バスは、与島パーキングエリアを経由して瀬戸大橋へ。残る橋は2つです。まず、「北備讃瀬戸大橋」に入りました。
そのまま最後の「南備讃瀬戸大橋」 へと移ります。
2つの橋は連結されていて、あっという間に通過してしまいますが、この場所こそが、瀬戸大橋建設の鍵となった場所でした。
↑与島から見た「北備讃瀬戸大橋(手前)」と「南備讃瀬戸大橋(奥)」(見学ツアー参加時に撮影)
橋の左側に2つの小島が見えます。北備讃瀬戸大橋の橋脚部分になった三ツ子島です。そして、2つの橋の境目にあるのが、橋台となった二面島。この辺りは海の銀座と呼ばれるほど船舶が過密している海域であり、船の通行に支障がないよう、スパンの長い橋が必要とされていました。巨大な橋脚や橋台を支えるには、強固な地盤が必要であり、そのために利用されたのが、これら2つの島です。どちらも岩礁と呼べる程度の、小さな無人島でしたが、建設工事の過程で姿を変えています。特に後者の二面島は、もう見ることが出来ません。
「夢の架け橋」が、夢から現実になったのには、これらを含む、塩飽諸島に存在する島々の功績があったからなんですね。
全ての橋を渡り、四国本島にたどり着きました。
坂出の市街地に入り・・・
目的地の坂出駅前に到着。バスは終点の回生病院へ向かって発車していきました。
児島駅前から坂出駅前まで、わずか1時間でしたが、瀬戸大橋の上から海や島を見下ろしてみたり、島から瀬戸大橋を見上げてみたりと、2つの視点で楽しめた「瀬戸大橋線」の旅でした。
<撮影2015年10月>
児島駅前14時55分発
「瀬戸大橋を一般路線バスで渡る」
その日は突然やってきました。
知人と四国を旅行していた時の事です。トロッコ列車に乗車して瀬戸大橋を渡り、児島駅に到着。どうやって四国へ戻ろうかと相談している時、ふと、一般路線バスで橋を渡れる事を思い出して検索してみました。すると、上手い時刻にバスがある事がわかり、私達は意気投合。瀬戸大橋線の旅が始まります。
下津井電鉄の瀬戸大橋FW行きが到着。
車内に入ると、ハイバックシートと、シートベルトが目につきます。高速道路を走行する、瀬戸大橋線のための仕様です。
児島駅前を発車。途中の天満屋ハピータウン前で2人の乗車がありました。バスは児島インターから瀬戸中央自動車道へと入ります。
「この先 瀬戸大橋」
案内標識に心が踊ります。鷲羽山北のBSを発車して、メガネのような形をしたトンネルを抜けると、いよいよ瀬戸大橋を渡ります。
瀬戸大橋とは、6本の橋と高架橋を繋ぎ合わせた総称です。最初に渡るのは「下津井瀬戸大橋」。
海の上に出ました!!
先程、鉄道で橋を渡りましたが、一般路線バスだと、より地域に近い目線で見られるような気がします。
岡山県から香川県に変わり、櫃石島に入りました。バスは、そのまま「一般車輌 進入禁止」の標識のある側道へ進みます。
そう。バスならば、地元の方や緊急車両等しか降りられない、櫃石島に降りられるのです。
ぐるりと円を描きながら、車通りの少ないランプを降りていきます。
そして、高速道路の出入口と、島の出入口。2つの連続したゲートを通過して、島の内部へと進みました。
島民以外では、路線バスの乗客しか見られない景色。
漁港近くの櫃石という停留所で、天満屋ハピータウン前で乗車した2人が降車しました。海を越えて天満屋までお買い物だったのでしょうか。バスは進路を戻し、櫃石島を後にします。
再びゲートを通過して瀬戸大橋へ。車内では下津井電鉄の高速バス広告が流れました。
2つ目の橋である「櫃石島橋」へ進みます。
橋を渡ると、すぐに岩黒島に入りました。
岩黒島でも、ランプを下りて集落へ・・・・といきたいところですが、残念ながら岩黒島は本線上にあるBS。バスを降車した旅客は、エレベーターを使って島内へと降りて行く事になります。ちなみに島民の方の車は、櫃石島と同様にランプから降りられますが、四国方向にしかジャンクションがないので、本州方向へ向かって走行していると岩黒島では降りられません。この場合は、先程の櫃石島で折り返してくるそうです。
降りられなかった岩黒島の集落を車窓から望みました。降りられないとわかると、降りてみたくなるもの。いつか上陸してみたいです。
「岩黒島橋」「与島橋」と渡り、与島に入りました。この島の入口はパーキングエリアです。
ゲートを通過して与島の島内へ。
終点の瀬戸大橋FW前に到着しました。下津井電鉄が担当するのはここまで。この先の坂出へは、琴参バスの担当になります。
瀬戸大橋FW(瀬戸大橋フィッシャーマンズ・ワーフ)とは、瀬戸大橋開業に合わせて京阪電気鉄道が開発した商業施設です。開業ブームの頃は賑わったそうですが、現在は残念ながら閉鎖され、バスの乗り継ぎ停留所だけが残されたようでした。
乗り継ぎ時間は6分。バスを待っていると、頭上から「ゴーーー」と音が聞こえてきました。道路の音は比較的静かですが、鉄道の音は結構気になります。
さて、坂出へ向かう回生病院前行きがやってきました。これから乗車する琴参バスです。
琴参バスの始発は、与島の中心である浦城です。瀬戸大橋FW前が寂れた状態なので、下津井電鉄も集落の多い浦城発着にした方がよいのではないかと考えてしまいますが、折り返しの児島駅前行きを待つ釣り人が何人かいましたし、ここからでも、それなりに利用者はいるのかもしれません。
ちなみに、下津井電鉄の瀬戸大橋線は、国土交通省および岡山県・香川県から補助金が交付されています。高速乗合バスが幾度と行き交う瀬戸大橋ですが、同じ道路を走る一般乗合バスは、越境する一つの離島路線に過ぎす、維持は大変なようです。
瀬戸大橋FW 15時35分発
乗車した琴参バスは、与島パーキングエリアを経由して瀬戸大橋へ。残る橋は2つです。まず、「北備讃瀬戸大橋」に入りました。
そのまま最後の「南備讃瀬戸大橋」 へと移ります。
2つの橋は連結されていて、あっという間に通過してしまいますが、この場所こそが、瀬戸大橋建設の鍵となった場所でした。
↑与島から見た「北備讃瀬戸大橋(手前)」と「南備讃瀬戸大橋(奥)」(見学ツアー参加時に撮影)
橋の左側に2つの小島が見えます。北備讃瀬戸大橋の橋脚部分になった三ツ子島です。そして、2つの橋の境目にあるのが、橋台となった二面島。この辺りは海の銀座と呼ばれるほど船舶が過密している海域であり、船の通行に支障がないよう、スパンの長い橋が必要とされていました。巨大な橋脚や橋台を支えるには、強固な地盤が必要であり、そのために利用されたのが、これら2つの島です。どちらも岩礁と呼べる程度の、小さな無人島でしたが、建設工事の過程で姿を変えています。特に後者の二面島は、もう見ることが出来ません。
「夢の架け橋」が、夢から現実になったのには、これらを含む、塩飽諸島に存在する島々の功績があったからなんですね。
全ての橋を渡り、四国本島にたどり着きました。
坂出の市街地に入り・・・
目的地の坂出駅前に到着。バスは終点の回生病院へ向かって発車していきました。
児島駅前から坂出駅前まで、わずか1時間でしたが、瀬戸大橋の上から海や島を見下ろしてみたり、島から瀬戸大橋を見上げてみたりと、2つの視点で楽しめた「瀬戸大橋線」の旅でした。
<撮影2015年10月>