急行 横手本荘線
横手バスターミナル 10時35分発 羽後交通
横手バスターミナルに「急行 本荘」の幕を出したバスが到着しました。これから乗車する急行・横手本庄線です。秋田県の内陸側である横手駅と、沿岸側である本荘を結ぶ路線で、1日に5往復が運行されています。一般路線バスとしては長い1時間48分の所要時間を楽しむ事にしましょう。
横手バスターミナルを私一人の貸切状態で発車。しばらくは横手の市街地を走行します。
国道107号を中心に、ところどころ旧道に入って集落をまわります。国道では広い道も集落ではこんな感じ。バスは慎重に走行しています。貸切状態でスタートしたこの便ですが、区間乗車があるようで、乗客が乗っては降りてを繰り返していました。横手と本荘の都市間輸送というよりは地元密着型のようです。
車内の様子です。どうやら元川崎鶴見臨港バスのようですね。昔、川崎駅で見た事がある車両だったりして?!
さて、車内には運賃表示器がありません。利用者は三角運賃表で確認するシステムになっています。本荘営業所ゆきと書かれているので終点に着く度に運転手さんが差し替えているのでしょう。
運賃表示器がないという事は運転手さん用の運賃表もあります。上の運賃表をペラペラとめくっています。
11時18分、雄物川を渡ります。このところ雨続きだったせいか、豊かな水量でした。
山に入って来ました。どんどん速度は下がり、運転手さんはシフトダウン。バスも頑張ります。
11時25分、トンネルでサミット。トンネルを抜けると下り坂、由利本庄市に入りました。
その直後、急行横手バスターミナル行きとすれ違い。あちらは7mのチョロQのようです。
老方の集落を走行中。この辺りは道路工事中でダートになっています。ダートを走る大型バスは貴重な体験ですが、ゆっくり走っても乗り心地が驚くほどに悪く、ぴょんぴょん跳ねています。更に工事区間のラストは工事車両脇のすり抜けです。狭い場所でもするりと運転してしまう運転手さんの腕に脱帽!
JR羽越本線を陸橋でまたぎます。終点が近付いてきました。
本荘の街中を走行すると…
12時23分、終点の本荘営業所に到着しました。横手〜本荘間はかつて鉄道で結ばれる計画がありました。横荘鉄道(羽後交通の前身)は横手側と本荘側からそれぞれ鉄道の建設が進めてきましたが、残念ながら結ばれる事はなく横手側は1971年に全線廃止、本荘側も国有化(国鉄矢島線)、その後第三セクターに転換されて由利高原鉄道となり、現在に至ります。鉄道では果たせなかった横手〜本荘間の輸送は、今は1日5往復のバスが受け継いでいます。
<撮影2010年9月>
横手バスターミナル 10時35分発 羽後交通
横手バスターミナルに「急行 本荘」の幕を出したバスが到着しました。これから乗車する急行・横手本庄線です。秋田県の内陸側である横手駅と、沿岸側である本荘を結ぶ路線で、1日に5往復が運行されています。一般路線バスとしては長い1時間48分の所要時間を楽しむ事にしましょう。
横手バスターミナルを私一人の貸切状態で発車。しばらくは横手の市街地を走行します。
国道107号を中心に、ところどころ旧道に入って集落をまわります。国道では広い道も集落ではこんな感じ。バスは慎重に走行しています。貸切状態でスタートしたこの便ですが、区間乗車があるようで、乗客が乗っては降りてを繰り返していました。横手と本荘の都市間輸送というよりは地元密着型のようです。
車内の様子です。どうやら元川崎鶴見臨港バスのようですね。昔、川崎駅で見た事がある車両だったりして?!
さて、車内には運賃表示器がありません。利用者は三角運賃表で確認するシステムになっています。本荘営業所ゆきと書かれているので終点に着く度に運転手さんが差し替えているのでしょう。
運賃表示器がないという事は運転手さん用の運賃表もあります。上の運賃表をペラペラとめくっています。
11時18分、雄物川を渡ります。このところ雨続きだったせいか、豊かな水量でした。
山に入って来ました。どんどん速度は下がり、運転手さんはシフトダウン。バスも頑張ります。
11時25分、トンネルでサミット。トンネルを抜けると下り坂、由利本庄市に入りました。
その直後、急行横手バスターミナル行きとすれ違い。あちらは7mのチョロQのようです。
老方の集落を走行中。この辺りは道路工事中でダートになっています。ダートを走る大型バスは貴重な体験ですが、ゆっくり走っても乗り心地が驚くほどに悪く、ぴょんぴょん跳ねています。更に工事区間のラストは工事車両脇のすり抜けです。狭い場所でもするりと運転してしまう運転手さんの腕に脱帽!
JR羽越本線を陸橋でまたぎます。終点が近付いてきました。
本荘の街中を走行すると…
12時23分、終点の本荘営業所に到着しました。横手〜本荘間はかつて鉄道で結ばれる計画がありました。横荘鉄道(羽後交通の前身)は横手側と本荘側からそれぞれ鉄道の建設が進めてきましたが、残念ながら結ばれる事はなく横手側は1971年に全線廃止、本荘側も国有化(国鉄矢島線)、その後第三セクターに転換されて由利高原鉄道となり、現在に至ります。鉄道では果たせなかった横手〜本荘間の輸送は、今は1日5往復のバスが受け継いでいます。
<撮影2010年9月>