浜通り交通 JR常磐線代行バス(竜田駅~原ノ町駅)
竜田駅 9時35分発
いわき駅から普通列車で34分。JR常磐線の竜田駅に降り立ちました。2015年2月現在、いわき側から常磐線を北上すると、鉄道で行ける最も北側にある駅です。これは2011年3月11日に発生した「東日本大震災」による福島第一原子力発電所の事故で、これより先に立ち入りが大きく制限される帰還困難区域があるためです。
しかし、帰還困難区域を鉄道と並行して走る国道6号線は福島県全体の復旧・復興を担う重要な道路である事から、2014年9月15日から特別通過交通制度の運用を変更し、自動車が当該区間を通過出来るようになりました。そして2015年1月31日からこの道路を使い、竜田駅~原ノ町駅間をJR常磐線代行バスが2往復走るようになったのです。
2015年2月現在、原発事故による避難指示の区域は3つにわけられます。
・「避難指示解除準備区域」・・・除染やインフラ復旧、雇用対策など復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の一日でも早い帰還を目指す区域
・「移住制限区域」・・・将来的に住民が帰還し、コミュニティを再建する事を目指し、除染やインフラ復旧などを計画的に実施する区域
・「帰還困難区域」・・・長期間、帰還が困難である事が予想される区域
避難指示解除準備区域と移住制限区域は、原則的に立ち入りが自由で、竜田駅は避難指示解除準備区域に指定されています。
これから代行バスに乗車して、移住制限区域や帰還困難区域を通過し、原ノ町駅まで行くのです。
竜田駅前に停車しているのは、浜通り交通が運行するJR常磐線代行バスです。塗装からわかるように、元はJRバス関東にいた車両で、H651-00406の車号を消した跡がありました。
側面の行き先表示は「原ノ町駅」を表示。車両は貸切バスですが、道路運送法の第21条(「災害の場合その他緊急を要するとき」)による乗合運送です。
車内は4列シートで後方にトイレが設置されています。
9時35分、私を含め、列車から乗り継いだ5人の乗客を乗せてバスは発車、国道6号線を北上します。
代行バスは、運転手さんとガイド(添乗員)さんの2人乗務体制です。ガイドさんは、JR常磐線の代行バスである事、帰還困難区域を走行する事、後方にはトイレが設置されている事を放送していました。また、私のような明らかに地元の人間以外が乗車していたからなのか、この日は簡単な沿線案内もしてくれました。
富岡町に入り、「JV」や「1F」のボードを掲げたバスとすれ違いました。「JV」とは原発事故の対応拠点になっているJビィレッジ、「1F」とは福島第一原子力発電所を表すものと思われます。作業をされている方々が移動するバスでしょうか。
いつの間にか移住制限区域を走行していましたが、そのうち帰還困難区域を表す看板が増えてきました。特に検問のようなものはなく、そのまま帰還困難区域へと進みます。一般の乗客が乗れるバスで、避難指示解除準備区域や移住制限区域を走行するものは、これまでも存在しましたが、帰還困難区域を走行するのは、この代行バスが初めてです。
交差点では原則として右折や左折をする事は出来ず、そのまま直進するしかありません。ほとんどの信号機は黄色の点滅状態です。(※常磐自動車道に繋がる県道36号線と国道6号線の交差点だけは曲がる事が可能)
側道にはバリケードが設置されていました。通行止と、一般車進入禁止(通行証が必要)の2タイプあるようです。インフラ復旧事業者や通勤通院等を目的とした関係市町村の地域住民には通行証が例外的に発行されています。
大熊町に入りました。福島第一原子力発電所は、大熊町と、この先の双葉町にまたがって存在しています。
国道6号線の帰還困難区域を通過出来るのは、自動車のみです。自動二輪、原動機付自転車、軽車両及び歩行者は通行する事が出来ません。
「福島第一原子力発電所」を案内する看板が見えました・・・
ガイドさんが、福島第一原子力発電所の煙突が見えると教えてくれました。
そのまま双葉町へと入ります。
しばらくして、「緊急時の避難路」という看板が見えてきました。ここを左折すると郡山へ抜けられる国道288号線ですが、今は一般車進入禁止となっています。この道路が実際に避難路として使われる機会が訪れない事を願いました。
前方のトラックは、ここを左折。通行証の確認をしているようです。
内閣府 原子力災害対策本部の発表では、帰還困難区域の道路上の空間線量率は0.31~14.7μSv/h(平均値3.5μSv/h)であり、国道6号線の避難指示区域の南端から北端までの42.5kmを、時速40kmで1回通行するに当たって、受ける被ばく線量は1.2μSvとされています。新聞報道によると、この値は胸部エックス線撮影の被ばく線量の50分の1程度だとか。
ちなみに代行バス車内では、乗務員さんが線量計を携帯しており、実際に走行している地点の車内での空間線量率と合わせ、1回通行するに当たっての被ばく線量を測定しています。乗客は希望すると、被ばく線量を教えてくれるそうです。
JR常磐線が見えました。この線路を列車が走る日はいつになるのでしょう。
浪江町に入り、ここで帰還困難区域は終わりです。この先は避難指示の区域が一気に2ランク下がり、避難指示解除準備区域となります。区域の境目ためか、放射線量の検査をするスクリーニング場が設けられていました。これは帰還困難区域で作業をする方々が対象と思われ、代行バスの乗客は単なる通過交通なのでスクリーニングする必要はなく、そのまま通過しました。
通行できない側道と、営業していない店舗。これまで、ずっとこのような光景ばかりを見てきました。
そして南相馬市へ。そのうち避難指示解除準備区域を抜けて、避難の規制は全てなくなりました。
営業しているホームセンター・・・
・・・そしてコンビニ。営業中の暖簾がかかる飲食店、人々が買い物をしているスーパーマーケット。
ようやく生活感のある場所になりました。当たり前の事なのに、なんて素晴らしい光景なんだろうと思いました。
終点の原ノ町駅に到着しました。いわきー原ノ町間を移動するには、これまで郡山や福島などの中通りへ大きく迂回する必要がありましたが、代行バスが運行を開始した事によって、大きな時間短縮になりました。代行バスだけの所要時間は1時間10~25分です。
降車時、運転手さんに被ばく線量を聞いたのですが、恥ずかしながらバスを撮影していたら、うろ覚えになってしまいました。こういう数字はハッキリ書かなきゃいけないものですが、曖昧でごめんなさい。確か0.7μSvと教えてくれたと思います。
・・・最後に、私は初めて帰還困難区域の中に入りました。バスに乗車してから緊張しっぱなしで、気が付くと手には汗を握っていました。心拍数が高いのも自分自身でわかります。でも、ガイドさんが「この辺りは桜の綺麗なところです」とか、「動物が飛び出す事もあります」なんて、マイクで案内してくれているうちに落ち着いてきました。
目安となる数値は事前に知っていても、初めて体験する事は正直怖いし、不安だらけです。おそらく必要以上に緊張していたと思いますが、落ち着いたやさしいガイドさんの声(そして運転手さんとガイドさんの笑顔)にムードを作ってもらい、救われました。
どんなに科学的に数値を示されようが、最後は人だと実感した次第です。本当に人のチカラって凄いと思いました。
<撮影2015年2月>
竜田駅 9時35分発
いわき駅から普通列車で34分。JR常磐線の竜田駅に降り立ちました。2015年2月現在、いわき側から常磐線を北上すると、鉄道で行ける最も北側にある駅です。これは2011年3月11日に発生した「東日本大震災」による福島第一原子力発電所の事故で、これより先に立ち入りが大きく制限される帰還困難区域があるためです。
しかし、帰還困難区域を鉄道と並行して走る国道6号線は福島県全体の復旧・復興を担う重要な道路である事から、2014年9月15日から特別通過交通制度の運用を変更し、自動車が当該区間を通過出来るようになりました。そして2015年1月31日からこの道路を使い、竜田駅~原ノ町駅間をJR常磐線代行バスが2往復走るようになったのです。
2015年2月現在、原発事故による避難指示の区域は3つにわけられます。
・「避難指示解除準備区域」・・・除染やインフラ復旧、雇用対策など復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の一日でも早い帰還を目指す区域
・「移住制限区域」・・・将来的に住民が帰還し、コミュニティを再建する事を目指し、除染やインフラ復旧などを計画的に実施する区域
・「帰還困難区域」・・・長期間、帰還が困難である事が予想される区域
避難指示解除準備区域と移住制限区域は、原則的に立ち入りが自由で、竜田駅は避難指示解除準備区域に指定されています。
これから代行バスに乗車して、移住制限区域や帰還困難区域を通過し、原ノ町駅まで行くのです。
竜田駅前に停車しているのは、浜通り交通が運行するJR常磐線代行バスです。塗装からわかるように、元はJRバス関東にいた車両で、H651-00406の車号を消した跡がありました。
側面の行き先表示は「原ノ町駅」を表示。車両は貸切バスですが、道路運送法の第21条(「災害の場合その他緊急を要するとき」)による乗合運送です。
車内は4列シートで後方にトイレが設置されています。
9時35分、私を含め、列車から乗り継いだ5人の乗客を乗せてバスは発車、国道6号線を北上します。
代行バスは、運転手さんとガイド(添乗員)さんの2人乗務体制です。ガイドさんは、JR常磐線の代行バスである事、帰還困難区域を走行する事、後方にはトイレが設置されている事を放送していました。また、私のような明らかに地元の人間以外が乗車していたからなのか、この日は簡単な沿線案内もしてくれました。
富岡町に入り、「JV」や「1F」のボードを掲げたバスとすれ違いました。「JV」とは原発事故の対応拠点になっているJビィレッジ、「1F」とは福島第一原子力発電所を表すものと思われます。作業をされている方々が移動するバスでしょうか。
いつの間にか移住制限区域を走行していましたが、そのうち帰還困難区域を表す看板が増えてきました。特に検問のようなものはなく、そのまま帰還困難区域へと進みます。一般の乗客が乗れるバスで、避難指示解除準備区域や移住制限区域を走行するものは、これまでも存在しましたが、帰還困難区域を走行するのは、この代行バスが初めてです。
交差点では原則として右折や左折をする事は出来ず、そのまま直進するしかありません。ほとんどの信号機は黄色の点滅状態です。(※常磐自動車道に繋がる県道36号線と国道6号線の交差点だけは曲がる事が可能)
側道にはバリケードが設置されていました。通行止と、一般車進入禁止(通行証が必要)の2タイプあるようです。インフラ復旧事業者や通勤通院等を目的とした関係市町村の地域住民には通行証が例外的に発行されています。
大熊町に入りました。福島第一原子力発電所は、大熊町と、この先の双葉町にまたがって存在しています。
国道6号線の帰還困難区域を通過出来るのは、自動車のみです。自動二輪、原動機付自転車、軽車両及び歩行者は通行する事が出来ません。
「福島第一原子力発電所」を案内する看板が見えました・・・
ガイドさんが、福島第一原子力発電所の煙突が見えると教えてくれました。
そのまま双葉町へと入ります。
しばらくして、「緊急時の避難路」という看板が見えてきました。ここを左折すると郡山へ抜けられる国道288号線ですが、今は一般車進入禁止となっています。この道路が実際に避難路として使われる機会が訪れない事を願いました。
前方のトラックは、ここを左折。通行証の確認をしているようです。
内閣府 原子力災害対策本部の発表では、帰還困難区域の道路上の空間線量率は0.31~14.7μSv/h(平均値3.5μSv/h)であり、国道6号線の避難指示区域の南端から北端までの42.5kmを、時速40kmで1回通行するに当たって、受ける被ばく線量は1.2μSvとされています。新聞報道によると、この値は胸部エックス線撮影の被ばく線量の50分の1程度だとか。
ちなみに代行バス車内では、乗務員さんが線量計を携帯しており、実際に走行している地点の車内での空間線量率と合わせ、1回通行するに当たっての被ばく線量を測定しています。乗客は希望すると、被ばく線量を教えてくれるそうです。
JR常磐線が見えました。この線路を列車が走る日はいつになるのでしょう。
浪江町に入り、ここで帰還困難区域は終わりです。この先は避難指示の区域が一気に2ランク下がり、避難指示解除準備区域となります。区域の境目ためか、放射線量の検査をするスクリーニング場が設けられていました。これは帰還困難区域で作業をする方々が対象と思われ、代行バスの乗客は単なる通過交通なのでスクリーニングする必要はなく、そのまま通過しました。
通行できない側道と、営業していない店舗。これまで、ずっとこのような光景ばかりを見てきました。
そして南相馬市へ。そのうち避難指示解除準備区域を抜けて、避難の規制は全てなくなりました。
営業しているホームセンター・・・
・・・そしてコンビニ。営業中の暖簾がかかる飲食店、人々が買い物をしているスーパーマーケット。
ようやく生活感のある場所になりました。当たり前の事なのに、なんて素晴らしい光景なんだろうと思いました。
終点の原ノ町駅に到着しました。いわきー原ノ町間を移動するには、これまで郡山や福島などの中通りへ大きく迂回する必要がありましたが、代行バスが運行を開始した事によって、大きな時間短縮になりました。代行バスだけの所要時間は1時間10~25分です。
降車時、運転手さんに被ばく線量を聞いたのですが、恥ずかしながらバスを撮影していたら、うろ覚えになってしまいました。こういう数字はハッキリ書かなきゃいけないものですが、曖昧でごめんなさい。確か0.7μSvと教えてくれたと思います。
・・・最後に、私は初めて帰還困難区域の中に入りました。バスに乗車してから緊張しっぱなしで、気が付くと手には汗を握っていました。心拍数が高いのも自分自身でわかります。でも、ガイドさんが「この辺りは桜の綺麗なところです」とか、「動物が飛び出す事もあります」なんて、マイクで案内してくれているうちに落ち着いてきました。
目安となる数値は事前に知っていても、初めて体験する事は正直怖いし、不安だらけです。おそらく必要以上に緊張していたと思いますが、落ち着いたやさしいガイドさんの声(そして運転手さんとガイドさんの笑顔)にムードを作ってもらい、救われました。
どんなに科学的に数値を示されようが、最後は人だと実感した次第です。本当に人のチカラって凄いと思いました。
<撮影2015年2月>